2011年10月9日日曜日

40億円

そのまま箱に入れていた遺品を整理し始める。

私の家がある地域には海の前に7mの堤防が建てられ、
そこから少し離れて4mの高さがある道路が作られるそうだ。
堤防と道路の間に人は住んではならない。
特に行政が引き取ってくれるわけでもない。
ニュースで言っていたとおり、「死に土地」になる。

私の家やビニールハウスがあったところも道路は
「死に土地」になることがわかった。

震災から一ヶ月経った4月のこと
「被災地の復興・再生に真に役立つものとして義捐金40億円を
 送られたら使い道をどうしますか」
と聞かれた。
その時は仮埋葬からお墓に移してあげることや、
お葬式ができない人のための費用のことを考えていた。
仮埋葬から掘り起こすのに重機はいるし、スコップで掘る人員もいる。
今は、住まいが死に土地になってしまった人の住居だろうか。

お盆に帰ったときに会った近所の人に
父は「また戻ってきますから」と言うと
近所の人には「え?戻ってくるの?」と返された。

その土地から少しでも離れてしまうと、
これまであった関係もくずれていく。

先日、普段は東京に住んでいる同郷の方と会った。
その方の実家も津波の被害を受けて、ご家族は仮設住宅にいるらしい。
お互いの話をしていて涙が出てきた。
他の人はびっくりして
「普段元気そうにしていたから(大丈夫だと思っていた)」と
言っていたけれど、
自分ではコントロールができていない。
見えない穴に落ち込んでいく。

街中は回復しつつある。
チャリティイベントと、気持ちが剥離している。


40億円があっても見えない穴は埋まらないだろうなと思いつつ、
この先のことを考える。

2011年10月9日

2011年5月11日水曜日

おやすみ、ジョン

この日記は、二ヶ月後の、
泥が干上がって、庭にいたジョンがみつかって、
それを一人で妹のガーデニングのシェベルで、
波で流された肥料やヘドロ、土と言えない土を
かき集めて埋めた日の次の日の今日。

私は家に帰ればジョンを撮る。

おやすみ、ジョン。
おやすみ、ゴンスケ。
おやすみ、ボス。
いろんな人にいろんな名前で呼ばれていた。

おやすみ。連れて行けなくてごめんね。
と言いながら最後に撮った。

自分の感情がいなくなっていくような感じだ。

水が引いて、家だったであろう瓦礫を見つけた日、
父が「カメラを持ってきたか?」と聞いた。
私は「え?」と聞き返した。
父は「写真を撮れ」と言った。
「俺が助かったところと家とこの風景を撮っておけ」と。
「あそこと、あそこと撮っておけ」と・・・。

私は何も言わずにiPhoneで撮った。
けれども、カメラがあったから正気でいられたと思う。
少しでも家の断片をみつけたかった。

私の中にすっぽり空洞ができた。
いつもは遠くのところに置いておいて、
時々引っ張り出している。
空洞は亡くなった人たちの形をしている。


2011年5月11日
2022年編