2024年1月6日土曜日

1月1日は亡くなった妹の誕生日で、元旦でもあり、父の家を訪れていた。
居間で背景にテレビを流しながら一緒にいつつも、
それぞれの午後を過ごしていると、緊急地震速報が鳴った。
番組は切り替わり、地震の映像、大津波警報、アナウンサーのかけ声と続く。
その日は夜まで各チャンネルの地震のニュースを徘徊しながら一緒に見た。

2011年の3月11日の時は、父は石巻で家族と一緒に、私は仙台で被災し、
父は波にのまれたが一人だけ助かった。
私たちは経験の内容がまるっきり違く、それぞれの目線があうことは難しい。
今回は一緒に[テレビの映像を通して震災を経験している]と思った。

アナウンサーが「東日本大震災を思い出して」と叫んでいた。
私の家にはテレビがないので、ひっきりなしに音と文字で
注意喚起しているのを初めて見た。
友人の子どもは怖がっているという。
けれども今回のアナウンサーの叫び声は、
数年後にまた来るであろう震災の時に、
今回を体験した子どもたちは思い出すだろう。

余震が今でも続いている。
インターネットニュースで見る、崩れた家々、救助の様子は、
震災後3日目に父と父の弟と一緒に泥や崩れた家の中を歩いて、
家族を探していた頃をどんどん思い出させる。
父が「写真を撮れ」と言ったから、今このページがある。


被災中の方は過去の経験を読むのは難しいと思う。
できれば目の前の出来事を訴えてほしい。
今の前の前がすべて現実で、現在を進行している。
過去の経験は知恵にはなるけれど、
目の前に活かしていけるかは現在の人だけだ。

2011年の震災の経験、
いつでも災害が起こり得ることを地続きで見てきた。

経験してから自分は年を重ねているのに、
災害について何らか対応できる貢献はできていないような気がする。
避難所の状況など、2011年から変わっていないことに悲しみもある。
自身の備えは大事で、とくに自助をうたわれるけれど、
住んでいる場所にどのように導かれるか。
公助のための行政システムの関わるためには、
生活において、いつも行政に関心をもつこと、
それをずっと言い続けてこなくてはならなかったと反省している。


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災害の時は、いつも[大きな石と小さな石]のことを考える。
生活はすべて小さな小さな砂粒でできている。
けれども大きな衝撃のあとは、どうしても大きな石の方が先導されていく。
空いた穴に見合った大きな石。
でももともとの日常は小さなものの積み重ねでできている。

3月11日の震災のあと、さまざまな復興事業があった。
大きな穴を誰もが抱えて、どうにか埋めようとしていた。
何かをおこそうとする人が多く、
何かをしてあげたいという大きな気持ちもあって
私たちの思いを蔑ろにしないでと言われることもあった。

また支援の受け皿になって奔走して疲労している人がいた。
ヒアリング続きで疲労している人もいた。
誰もがこの状況を伝えようと時間をつくってくれる。
動いている人は声をかけられやすい。
けれども結果、伝えた先はどのように考えてくれただろうか。

大学のボランティアバスや、アウトドア義援隊の活動に
参加させてもらったことがあった。
自分の事情を話すわけでなく、
同じものを見たいという気持ちで参加をしたかった。
家屋にたまった泥のかき出しや片付けを
同じ目線で活動をすることができて、
一緒に取り組む方々の気持ちに安心をした。

失ってしまったかわりに何か新しい夢を一緒に作る。という方法、
新しい思い出を作って埋める。という方法、
もあるかもしれない。
何かをおこすことで、自分のケアになる、
場合もあるかもしれない。

一方で、これまであったものなくなったもの
ただただ大きな穴を見つめる、しみじみ思いをはせる、
ただただ話ができる場所や時間も必要だった。

ただただ大きな穴を見つめることを周りは不安に思うので、
何かをしようと思うのかもしれない。

話を聞く、ことは簡単ではない。
とくに抱えている悲しみ、失ったものについて聞くことは、
瘡蓋をはがすようなことにもなりかねない。
私はずっと父と話せないでいる。
父は妹の腕をつかんだまま波にのまれて、
彼女は流されてしまった。
父が見た景色を聞くことはできない。

これまで、ただただ話を聞いてくれる人はいただろうか。
誰のための何のための事業かと、おこすときに考えたい。

小さな小さな粒と言うのは、
起きたときにあらわれている朝ごはんの湯気や、においや、
家族や、通学路で会う友だちとの「おはよう」という挨拶や、
帰り道の寄り道や、ささいな会話、
出来事ともされないような、何気ないこと。
普遍的なものの積み重ねの時間が人そのものに思う。


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経験した私たちは言い続けなければならなかった。
いつでも災害がある土地で。

この時とばかりに「恩返し」と言うけれど、
いつでも災害がある土地で、
日々どれだけ言い続けていくかも、
災害へ対応する努めだと思う。 


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>2011年3月のこと