2021年6月17日木曜日

とうもろこし泥棒

家の裏の畑は空撮写真を見ると、
縦にのびた長方形。
つきあたりは鍵先のように曲がっている。
近隣の家とは垣根で区切られていたが、
曖昧で、畑の脇を走る一本の私道は誰でも入れるようになっていた。
畑の鍵先部分のとなりは、親しくしているご近所さんの田んぼで、
私道から田んぼまわりを歩くのが、この辺の犬たちの散歩コースだ。


ある年までの毎年のこと。
春の終わりかけ、梅雨の前。
家の子どもたちが知らない間に、トウモロコシの種が蒔かれている。
夏休みに入る時には、大きい実がぎっしりと詰まったトウモロコシの
黄緑色の木が林になってあらわれる。
祖母や母が家の中で一番大きい鍋で、20本、30本と一気に茹でる。
そして、家の中で一番大きいザルに「どん」と入って、
塩をふられ、「ご自由にトウモロコシ」として、
台所のテーブルに置かれている(台所には7人が座るダイニングテーブルがある)。
10時と15時の畑仕事の一服に、お昼の素麺のお供に、
おやつに、夜食に毎日食べた。
家のトウモロコシは、そのまま塩茹でしたものか、
茹でたあとに実をばらしてバターを絡めたもののどちらしかない。
お祭りで売られている醤油味の焼きトウモロコシや、
フリットやトウモロコシご飯のような「お洒落な」ものにはならない。
塩茹でしたトウモロコシは、ぷりぷりしていて、甘くて、
いくらでも食べられる気持ちになった。


ある年の夏。
まだ太陽が残っていて明るい、夕飯時だったと思う。
ご近所さんが、いつものように勝手口から
「ごめんください」と言いつつ、少し慌てた様子だった。
犬の散歩を終えてから、急いで来てくれたそうで、
「ついさっきまで、畑で犬の散歩をしていたら、
見かけねぇ人がいる。ここらの人じゃない。
夫婦で自転車でいて、トウモロコシのどころにいだの。
なんかカゴにも後ろの荷台にも、いっぺぇ荷物積んで、
わだしが犬を連れていだがら、そそくさどいっだ」
ご近所さんの犬は、ゴールデンレトリーバーで大きく、
番犬として、よくしつけられた犬だ。
なんだかんだと結局はすぐに畑に行かずに、
「なんだろうね」と少し不穏な気持ちで夕飯を始めて、
そのままにしてしまった。

翌朝、畑からトウモロコシがすべてなくなっていたことがわかった。
父は苦笑いのような、がっかりしたような顔をしていた。
母が「あらー、なんだい!」と絶句する。
つくったものを盗られるなんて初めてのことだった。

祖母がぼそりと「うちで食べるもんねえな」と言った。
その年は一本も食べれずに終わり、
次の年から、しばらくトウモロコシを作らなくなった。

いつの年か忘れてしまった。夕飯を一緒に食べていた頃、
私が小学生から中学生くらいの時。
妹も弟も大きく、みんなでとってもがっかりした思い出。